喪服のマナーについてはこちらも参考にしてください。
おくりびとのコラム
ブラックフォーマルとはどんな服装?葬儀に参列する際の服装マナー
かつての日本の喪服は白かった
日本の喪服が白色だった主な理由は、神聖さと清浄性の象徴、実用性、そして故人への配慮からだっとされています。 白は神の色とされ、死の穢れを浄化する意味がありました。 また、江戸時代には白い布を染めるのが大変だったため、庶民にとって入手しやすい色だったそうです。 さらに、白装束で納棺される故人と同じ色を身につけることで、悲しみを表現し、故人の不安を和らげる意味合いもありました。 かつての喪服が白かったのにも理由があったのです。
なぜ黒い喪服が一般的になった?
明治時代と第二次世界大戦
黒色の喪服が一般的になったのは、主に明治時代以降の西洋化と第二次世界大戦の影響によるものです。 1897年の英照皇太后の葬儀に参列した欧米賓客の黒い喪服の影響を受け、徐々に黒色が導入されました。 その後、1915年の「皇室令」により宮中参内の喪服は黒と定められました。 さらに、第二次世界大戦中の物資不足と頻繁な葬儀により、管理が容易な黒い喪服が重宝されるようになりました。
黒い喪服を用いた早い例は明示から対象の頃の東京など、大都市での政治家や資本家など上流階級の葬儀でした。 遅い例は戦後の高度経済成長期以降の全国各地の農山漁村の一般の人々の葬儀の変化です。 伊藤博文の国葬では厳しいドレスコードがありました。その葬儀では必ず黒い燕尾服を着用するようにと厳重な服装心得が示され、混乱を引き落としたと言われています。
戦後の黒い喪服
第二次世界大戦後、日本の喪服に大きな変化が訪れました。それまで白色が主流だった喪服が、急速に黒色へと移行したのです。 この背景には、いくつかの興味深い理由があります。 まず、戦時中の物資不足が影響しました。 多くの方が亡くなり、頻繁に葬儀が行われる中で、白い喪服は洗濯や保管が面倒でした。 そこで、管理が容易で汚れが目立ちにくい黒い喪服が重宝されるようになったのです。 さらに、戦後の混乱期には貸衣装屋が黒い喪服を豊富に用意し、一般市民も手軽に入手できるようになりました。 この時期、多くの方が黒い喪服を選ぶようになり、そのスタイルが広まりました。 そして、西洋文化の影響も見逃せません。戦後、日本は欧米との交流を深める中で、黒い喪服が「正式」なものとして認識されるようになりました。 このような複合的な要因によって、黒い喪服は今や日本の葬儀に欠かせない存在となっています。
現代の白い喪服
現代でも、伝統を重んじる場面では白色の喪服が使用されることがあります。 特に格式の高い家や歌舞伎界などでは、白い喪服を着用する伝統が残っています。 また、一部の地域では喪主が白い喪服を着用する習慣も残っています。 このように、現代でも特別な場面や地域によっては白い喪服が使われています。